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長野県長野建設事務所発注令和5年度県単河川維持工事

長野県長野建設事務所発注 令和5年度 県単河川維持工事 長野 管内一円 (一)犀川 長野市 杉山2工区 令和6年11月竣工

発注者 長野県長野建設事務所
工事内容 堆積土除去工 V=22,500m3

長野県長野建設事務所発注令和5年度県単河川維持工事

長野市杉山地区を貫流する犀川は、信濃川(水系千曲川)の最大支流であり、地域の歴史と生活に深く結びついた川です。地形的には、犀川が長野盆地に流れ出る扇頂部から千曲川合流点にかけて広大な扇状地(川中島平)を形成しており、その肥沃な大地は古来より人々の暮らしを支えてきました。江戸時代初期には松代藩の花井父子による大規模な治水・用水事業が行われ、犀川の分流を一本化して長野市小松原の「犀口」に取水口を設け、犀口三堰(上堰・中堰・下堰)と呼ばれる用水路網を開削したと伝えられています。これにより川中島平一帯の新田開発が進み、犀川の豊かな水は周辺の農地を潤し稲作をはじめとする農業の発展を支えました。明治元年(1868年)の犀川大洪水で用水施設が壊滅した際には堰の再編成が行われ、取水口をさらに上流へ付け替える改修がなされるなど、先人たちは犀川と共に生きるための工夫と努力を重ねてきた歴史があります。

犀川はまた、地域の生活文化や歴史的出来事にも登場します。戦国時代の川中島の合戦では、犀川が武田信玄と上杉謙信の軍勢を隔てる天然の境界線となり、弘治元年(1555年)の第二次合戦では約200日にわたり両軍が犀川を挟んで対陣する状況が続きました。こうした歴史的舞台となったことで、犀川の名は郷土史にも刻まれ、地域の誇りともなっています。加えて、かつて犀川扇状地上を流れていた無数の分流ではサケやマスなどの川魚が豊富に獲れ、これらの支流は用水路としても機能して人々の生活用水や灌漑に供されてきました。発掘調査によれば、川中島地域には弥生時代から室町時代に遡る大集落跡が見つかっており、度重なる洪水で埋もれながらも古代から人々が定住していた痕跡が確認されています。このことは犀川流域の土地がいかに肥沃で生活に適していたかを物語ると同時に、川と共存する知恵が培われてきたことを示しています。

今回実施された杉山地区の犀川堆積土除去工事(長野県長野建設事務所発注の令和5年度県単河川維持工事)では、約22,500立方メートルもの土砂を河道から掘削し撤去しました。この大規模な堆積土除去により、川幅方向の流下断面が拡大されるとともに、川底の適切な深さ(みお筋)が回復し、犀川本来の流水能力が甦ることになります。その効果としてまず期待されるのが浸水被害の軽減です。河道の流下容量が向上することで、洪水時の水位上昇が抑えられ、堤防の越水や決壊のリスクが低減します。実際、長野県が近年実施した他地域の事例でも、大雨時に土砂流下で氾濫の恐れがあった河川の堆積土を事前に除去した結果、氾濫発生の危険を概ね解消できたとの報告があります。杉山地区の工事によって同様に犀川の治水安全度が高まり、地域の住宅や農地が洪水から守られやすくなることは、そこで暮らす住民にとって大きな安心材料になった工事と感じております。

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